浄蓮の滝

家族と旅。

伊豆の浄蓮の滝に行った。


どうやら、目的の滝まで、階段を降りて登ってのコースらしい。

母と私以外の家族のものたちは、

「すぐそこ」だからと、水筒も持たずに、さっさと行った。


入り口に立つと、

下から、続々と真っ赤な顔で息を切らして登ってくる人たちを見て、

これはこれは、、、結構なコースではないか?母には厳しいか。。。と思い、

母と相談して、

途中まで行って、滝が見えたら引き返そうということにした。


道に入る前に、忘れ物に気づいて、車に戻った。

水筒を取りに。

「すぐそこ」でも、こういう道を進むときは、水分があったほうがいいと思って。


以前、近所の人がおすすめしてくれた滝を見に行った時

「すぐそこ。」と思って、軽い気持ちで、真夏に母と山道っぽいところに入って、母は汗ダラダラで呼吸もきつそうで、途中で進むのを断念したことがあって。あの時、水筒を持ってけばよかったなと。

あの経験が、ここに生きていると嬉しくなった。(結局、今回、その水筒は使わなかったけど。)あの時は、途中で断念する選択をしてよかったと思ってる。


まずは下り。一歩一歩。。


旅先での、母との一歩一歩は、私のらせん流ナビ経験をフルに活かす時。


膝にエネルギーを溜めないように。

手すり。頼れるものは頼って。でも依存はしきらず、自分の足で地面を捉える。

天地の間で巡ってゆらゆらと。

全身連動の、いろんな意識の向け方のコツを、母に伝えながら、

表情や動きを観察しながら、

進む。


結局、一番下の目的地まで行くと母は言うので、

200段を全部を下った。


ご褒美の浄蓮の滝は見事だった。

細かい水の粒子を浴びて、熱った体がみるみる回復した。



さて。次は。登り。


また、一歩一歩。


休み休み進む。


ゴール!

戻ってきたーーー!!

200段。登って降りた✨


母は。

「あれ。楽に登れた。」


と言った。これには驚いた。


楽。まで言うとは。


母は、肺の持病があって、呼吸がすぐに苦しいという。

大腿骨の手術もしていて、ガタガタした歩きになりがち。


そんな母の歩きには、

らせん流のケア方法と、らせん流の快楽流通のスルスル通るよラインで動くコツは、大いに役立っていると思う。



私のナビとしての、経験を深める実践相手になってくれてることも間違いない。

私の思ってることと、違うように受け取ってることも多々あるし、

忘れてしまうし、理解も、体との対話も、母のペースがあるということを、

母との一歩一歩でよぉく学んだ、と、思う。


今は、母は、体との対話を楽しんでいると思う。

少なくとも、母は体の手入れをとても大事にしてると思う。

それが嬉しい。私の自己満足なんだけど。



母との一歩一歩は、年々、距離は短くなってる。

ちょっと寂しい気もする。

でも、満足感は、距離に比例せず。今回も、大満足だ。


登り切った

「浄蓮の滝。制覇✨」と。

ちょっとやつれて、晴々とした母の顔。

なかなかいい顔してると思う。



らせん流ありがとう!
















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