揺らぎそのものが、歩き、走り。
ひゅるひゅるひゅるひゅる〜
パーン。
サラサラサラ。。。
打ち上がり、パッと花咲き、余韻を残し消えていく。
その軌道は、
らせん なんだなあ。。。と
ぼんやり見ていた。
この日は、
久里浜の花火大会に。
こないだの
らせんの講習会で、
ゆーーーーっくり操体法をやって
立ち上がった私の体はゆらいでいた。
その動き、そのものが、
歩きと同じだった。
身体の動き、
全身のこの流れのひと続きは、
これしかないんだ。。
全ての動きは、
この全身の揺らぎが元になっているんだ。。
美冬さんのラジオでは、
自然界のものは揺らいでる。。
と、おっしゃっていたけど、
私たちも揺らいでいて、
その動きが、
歩き走り ということなのねえ。。。。
と、身体で感じ、
震える感動をしたのでした。。
動きとは、
本当は
とてもシンプルなものなのかもしれないと思う。
花火大会では、
家族で浴衣を着てみた。
カラコロカラコロ。
身体全部の揺らぎに委ねる歩きをすると
足裏に感じる体重圧の軌道は
8の字。
そうすれば、
鼻緒のところが痛くなったり、
拇指球のところだけ圧がかかって痛くなったり、
しない。
私の下駄は、かかとが少しだけ高くなっていたけど。
結構歩いても、全然足痛くならなかった。
でも、これがハイヒールだと、全然うまく歩けない。
痛くて、最近は耐えられず、裸足になってしまう始末。。
ハイヒールをうまく履きこなすには、どうすればいいかねえ。
とにかく、この日の私は、下駄は、うまい具合に歩けた。
子供達も、下駄歩きに痛みが出だしたので
前につんのめって歩いたら痛いから、
浴衣の幅で小股になって、
カランコロンと歩いてみたら。
と、言ってみたりしたけど、役に立ったのかはわからない。
まあ、子供達もそれなりに最後まで元気に歩いていた。
一番。。
大変そうだったのは。。
予想通り。
夫である。
拇指球周辺に過剰な体重がかかり、
痛いと、、
徐々に歩き方がぎこちなく、
途中モスを見ると、
休憩しようと、店内に入り、真っ先に座っていた・・
私は、色々と感覚的なアドバイスをしてみるのだけど、
いや、これはどうだこうだと、頭で反論するので、
一向に私たちは噛み合わない。。苦笑。
まあ、、彼がいないと、花火大会を計画してどこで何時にいけばよいのか、私はただついていくだけ。。
頭で考えないと、なんとなくーなんて言ってたら、この日花火は見れてない。
なんでも、、、バランスでございますね....
そう言える私は、大人になった。と、思う。
ま。
下駄歩きだけでいうと、
私が誰よりも、一番うまかったと思う。
が、皆。
お母さんの下駄は歩きやすい下駄だとお店の人が言っていた!
と、私の下駄がいいものだという締めくくりとされた。。
いや、私は歩き方がよかったのだ、と反論する。
娘たちは、
憧れていた
りんご飴と、チョコバナナをゲット。
りんご飴は、子供のころ、私も何度も食べた。
中に本物りんごが入っていて、
丸ごと一個のりんご食べる満足感あったなあ。。
今は、あの着色されたどきつい赤に
食べたら内臓まで赤く染まるでーと、
引いてしまう。。。
チョコバナナは
じゃんけんしたらもう一個もらえるということで、見事勝利し、
二つもらってた。
娘は美味しいと感激していたけど、
私は思ったより美味しいと感じなかった。
チョコがチョコレートの味でなくて、
ぼんやりしてた。。
バナナもりんごもそのまま食べる方が好きやわーと
夢のないおばさんの感想をいう自分に
歳を感じた。。
花火大会なんて、人混みばかりで行くもんじゃない。
花火は
家の近くで
遠く見える小さいものを見るがいいと思っているタイプだけど、
実際行ったからこそ、感じることができたこと、
らせんに打ち上がる球を近くでみて、音を聞くことができたし、
下駄で頑張って歩けたし、
浴衣も着れたし、
真っ黒な大空キャンパスに
パーンパーンと見事に華を咲かせてくれた。
その一枚
思い出として
持ち帰ることができた。
揺らぎそのものが、
あるき、 走り。。。
ああ、なんて 素晴らしいんだ。。。
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